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黒塚古墳、黒塚古墳展示館

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黒塚古墳
行燈山古墳(崇神天皇陵治定)のすぐ西に黒塚古墳がある。奈良盆地東南部に位置する柳本古墳群に属し、台地の縁辺部に立地している。柳本古墳群では最初に築造された古墳とされ、三角縁神獣鏡が多数出土したことで知られ、国の史跡に指定されている。

黒塚古墳
黒塚古墳は、全長約130mの前方後円墳で、後円部径約72m、高さ約11m、前方部長さ約48m、高さ約6m、後円部3段、前方部2段で、前方部と後円部の落差が大きい。現在、後円部東側には古墳に渡るための堤が設けられている。

黒塚古墳全景
全景写真を見ると、前方部正面にわずかな弧状の膨らみが確認され、前期古墳の特徴である撥形とわかる。現在は柳本公園の一角にあり、周濠より広い池に囲まれている。

黒塚古墳の石室
黒塚古墳後円部の調査では、中央部において主軸に直行する南北方向の耐え穴式石室を検出した。南北長さ約8.3m、北小口幅は約1.3m、南小口幅は約0.9m、高さ約1.7m。石室規模は全国4位の規模であり、墳丘の規模からすると長大な石室といえる。

黒塚古墳展示館
国内最多の三角縁神獣鏡が出土した古墳の手前には、天理市立黒塚古墳展示館が建てられ、石室模型や出土した神獣鏡や副葬品のレプリカが多数展示されている。実物はこの後訪れる橿原考古学研究所附属博物館に保管されている。

黒塚古墳
黒塚古墳から出土した三角縁神獣鏡33面で、36面以上出土したとされる京都府木津川市にある椿井大塚山古墳と同笵鏡である。これらの三角縁神獣鏡は、日本で発見された古代の銅鏡約4,000面のうち、約330面を占めるといわれる。魏志倭人伝によると、景初2年(238)に邪馬台国女王卑弥呼は魏の洛陽に使者を派遣し、魏から「親魏倭王」の称号と金印紫綬を受けた。同時に下賜された品々の中に「銅鏡百枚」があったという。初期ヤマト王権が最も重視したといわれる三角縁神獣鏡と、この「銅鏡百枚」との関係があるかどうか、邪馬台国畿内にあったか北九州にあったか、長い間論争が続いている。三角縁神獣鏡朝鮮半島からも中国本土からも一枚も発見されていないことにも留意しながら考えていきたい。

黒塚古墳の竪穴式石室
黒塚古墳の後円部中央に残存していた竪穴式石室内部は、築造後の地震13世紀頃と考えられる盗掘によって壊れていたところもあったが、床面の約9割は埋葬当時の状態を奇跡的にとどめていた。両側の壁の石材が石室内にずり落ちて床面が埋もれたことで結果的に鏡などの副葬品が盗掘から守られた。石室床面中央には割竹形木棺を支えた粘土棺床が見える。

復元した石室模型
これが後円部竪穴式石室を実物大で復元した石室模型である。もちろん、石室内に崩れ落ちていた石材を取り除いた状態である。壁面の上位は二上山南麓で産出する板石が積み上げられていた。

石室から出土した副葬品
石室の棺内外から出土した副葬品は種類・数量とも多い。北棺外には礫敷きの空間があり、三角縁神獣鏡1面、刺突具2点、U字形鉄製品1点などが出土した。棺室からは画文帯神獣鏡1面、直刀・剣・槍が各1点出土した。西棺外からは三角縁神獣鏡17面、素環頭大刀2点、直刀10点、剣1点、槍7点、鉄鏃86点、刺突具1点などが出土した。東棺外からは三角縁神獣鏡15面、素環頭大刀1点、直刀3点、剣1点、槍6点、鉄鏃126点、Y字形鉄製品2点などが出土した。南棺外には礫敷きの空間があり、鉄鏃・甲冑類・農工具類・土器類が配置されていた。さらに革綴冑(かぶと)や甲(よろい)を構成する小札(こざね)という小型の鉄板が1,111点以上出土している。

出土した副葬品
これが黒塚古墳から出土した、小札・U字形鉄製品・鉄鏃・Y字形鉄製品・鉄製武具である。その近くに「鉄製甲の内側に鹿皮」が貼り付けられていたことが確認されたという記事が紹介されていた。鹿皮のついた鉄製武具は、古墳時代中期以降での出土例はあるが、前期の古墳では初の事例という。

出土した鏡
出土したほぼ全ての鏡に織物痕があり、布に包まれた状態で副葬された可能性が高い。鏡には「銅出徐州」「同出徐州」「師出洛陽」など中国の地名が記されているものがある。「師」とは鏡作りの工匠を指す。神像は顔を正面に向け座った姿勢で両手を襟の前で合わせ、衣の袂が大きく膨らんでいる。獣像は顔を正面に向けるが胴体は横向きである。周辺には「象」や「駱駝」など日本にはいない動物も表現されている。
 

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