中種子町立歴史民俗資料館は、写真撮影禁止だったので、パンフの写真切抜で振り返る。種子島最後の丸木舟は、ヤクタネゴヨウ松を素材に、昔ながらの技法を用いて、山カタ(山師)と船大工によって造られた。ヤクタネゴヨウ松は、種子島と屋久島にしか自生しない松の木で、昭和30年頃までイカひき・エビアミ漁・一本釣り・トビウオ漁・はえなわ・瀬釣りなどに使われてきた。昭和30年代には80隻以上もあった丸木舟が急速に姿を消していったため、町が1982年に船大工達に最後の丸木舟を作ってもらったそうだ。
中種子町坂井の標高120mの見晴らしのよい台地に立切遺跡がある。1996-97年の発掘調査で、約3万5千年前の種Ⅳ火山灰の下から土坑や礫群、焼土跡などの生活跡が発見された。Ⅰ文化層で落とし穴遺構24基、土坑10基、焼土跡32基、礫群のほか石器製作場も見つかっている。
立切遺跡の落とし穴は、約3万5千年前の種Ⅳ火山灰の下から発見されている。現段階で日本最古、世界でも最古の落とし穴とされる。直径、深さが1.5m程の円筒形もしくは底の広がるフラスコ形で、小型のイノシシやシカなどを待ち伏せして捕る罠だったと考えられている。
当時の日本は最終氷期というとても寒い時代で、狩猟を中心とした生活をしていた。ところが、立切遺跡では刃部を磨いて作る局部磨製石斧や磨り石、敲石などの礫石器が多く出土している。これらの石器は、木の実などを加工する道具と考えられるので、当時の種子島は比較的暖かく、植物食料の採れる豊かな環境だったと考えられている。
南種子町島間の台地上に横峯遺跡がある。1992年の発掘調査で、約3万5千年前の種Ⅳ火山灰の下から礫群が発見され、旧石器時代の種子島に人類が存在していたことがわかった。横峯遺跡のⅠ文化層で礫群3基、炭化物集中箇所10ヵ所が、Ⅱ文化層で礫群6基と火処遺構が発見された。磨石や台石など木の実を加工する石器や、削器や台形様石器というナイフのような石器も出土している。それらの礫群は日本最古級と考えられている。拳ほどの大きさの石組みの遺構で、石や土が焼けているので蒸し焼き料理の跡と考えられている。
立切遺跡・横峯遺跡では旧石器時代には3時期の文化層がある。文化層は火山灰層が間層となり区分しやすいのが特徴である。特に鬼界カルデラ起源とされる種Ⅲ火山灰、種Ⅳ火山灰は、旧石器時代の年代を示す種子島の特徴的なカギ層である。
こちらの丸木舟は、南西諸島現役最後の丸木舟である。船の先端上に貼られた写真は、牛野春芳さん。昭和22年頃に丸木舟を購入し、以来、約50年間、丸木舟とともに漁業を営み、南西諸島最後の刳舟漁師として知られていた。
南種子町のインギー鶏が鹿児島県の文化財(天然記念物)に指定されたのは、平成25年のこと。インギー鶏は、明治27年(1894)、下中の前之浜海岸にイギリスの帆船「ドラメルタン号」が座礁した際、地域住民による船員の救助と厚いもてなしへのお礼として譲り受けた鶏で、名前は当時、島民がイギリス人を「インギー」と呼んでいたことに由来する。インギー鶏の特徴は、尾羽の全てが縮れて長くほっそりしているため、尾骨はあっても尾がないように見えること。100年以上にわたる改良・淘汰により固有の鶏種として確立され、日本在来種として認定されている希少な鶏である。天然記念物に指定されたため、指定を受けた88羽のインギー鶏は食用に供することができなくなったが、F1種(交配種)のインギー地鶏が食用として飼育・生産されている。