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徳之島町立郷土資料館

子ヤギ里久浜海岸から徳之島町の中心地、亀津へ向かって南下する。途中、徳之島の英雄、第46代横綱・朝潮太郎記念像の前を通り過ぎ、クジラ岬に向かうが、リゾートホテルの庭になっているようなので諦めた。県道へ戻る途中、子ヤギが2頭、空き地で無邪気に飛び跳ねながら遊んでいた。徳之島町立郷土資料館、あまみゆ(奄美世)亀津には、徳之島町立郷土資料館がある。徳之島の歴史や文化や自然などを紹介している。歴史は、あまみ...

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ゴリラ岩、喜念浜海岸、闘牛場なくさみ館

ゴリラ岩二日目は、徳之島町の亀津から南の伊仙町を巡り、西部を北上して天城町北部まで進む。まずは、海岸沿いにあるゴリラ岩を眺める。ゴリラの横顔に似ているから名付けられたというが、向かって右手から見ないとゴリラに似ている姿は認識しにくいようだ。ゴリラ岩地質学的に徳之島の土壌は、四万十帯の白亜紀帯と古第三期曉新世の花崗岩を基盤として、その上に更新世の琉球層群が重なっている。このゴリラ岩も、石灰岩と花崗岩類...

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伊仙町歴史民俗資料館

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瀬田海海浜公園、阿権のガジュマル、犬田布海岸

瀬田海海浜公園伊仙町役場の西にある瀬田海海浜公園は、自然を生かした海水プール、イベントやキャンプができる芝生広場、シャワー・トイレ、休憩所を備えたレジャー公園である。瀬田海海浜公園の海水プール瀬田海海浜公園の海水プールは、小さな子供でも安心して遊べるようにと、自然のサンゴ礁の窪みを削ってプール状にしているため、波の影響を受けずに泳ぐことができる。瀬田海海浜公園浅瀬でも岩場に張り付いた貝や泳ぐ魚を見つ...

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犬田布岬、小原海岸、秋利神大橋、戸森の線刻画

犬田布岬の展望台犬田布岬は、徳之島の最西端、島の南西部の東シナ海に三角形に突き出した岬である。展望台からは、雄大に広がる海を眺めることができ、東シナ海に沈む夕日の眺望は絶景である。犬田布岬からの眺望展望台から右手(北方)を眺めると、鋭く切り立つ琉球石灰岩の海蝕崖が眼下に広がる。打ち寄せ砕ける波しぶきの白さと紺碧の海との対比が美しい。犬田布岬は、奄美群島国立公園の一部で、奄美十景の一つにも選ばれている...

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与名間、ムシロ瀬

与名間ビーチ二日目の宿泊地は与名間ビーチの近くだった。与名間ビーチは全体が海浜公園として整備されていて、徳之島で一番きれいなビーチといわれる。ここが徳之島で行われるトライアスロン大会のスタート地点である。ムシロ瀬周辺の低木地徳之島北西端に位置する景勝地、ムシロ瀬周辺の低木地は、大島紬の染料に使うシャリンバイや、アダン、クサトベラ、モンパノキなど多彩な植物に恵まれている。展望台に向かう道端にも岩がゴロ...

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金見崎ソテツトンネル、展望台

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金見崎、畦プリンスビーチ、東又泉

ベニモンアゲハこちらの色鮮やかな蝶は、ベニモンアゲハ(Pachliopta...

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当部、クロウサギ観察小屋、西郷公園

当部、アマミノクロウサギの糞東又泉(アガリマタイジュン)からビンジルガナシへ向かう遊歩道は、駐車場のトイレの上を通るが、その道端にアマミノクロウサギの糞がたくさん転がっている。当部集落では庭先にも遊びに来るというアマミノクロウサギだが、一体何を食べて、こんなところにも出没するのだろうか?ビンジルガナシの祠この祠内にある人頭大ほどのくびれを持つ石のことを、当部集落ではビンジルガナシと呼び丁寧に祀ってい...

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8月に近所で見かけた花

シロシキブの花8月に近所で見かけた花をいくつか取り上げてみる。この小さな花は、ムラサキシキブの白実の園芸品種の花で、シロシキブ(Callicarpa japonica f.albibacca)と呼ばれる。ムラサキシキブ(Callicarpa...

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初秋(9月から10月)に見かけた花

ハツユキソウ9月から10月にかけて見かけた花を取り上げてみる。この白い花は秩父の民宿の近くで夕方に見かけた花。トウダイグサ科のハツユキソウ(Euphorbia...

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10月に見かけた花

シオンこの薄紫色の花は、シオン属のシオン(紫菀、Aster...

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11月に見かけた花

キバナコスモスこちらのオレンジ色の花は、キバナコスモス(Cosmos...

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奈良古墳巡り、平城京跡、佐紀盾列古墳群の東群

平城京跡、第一次大極殿この夏に奈良古墳巡りに出かけた。飛鳥や斑鳩、室生、吉野など奈良には大和政権初期の遺跡や奈良時代の寺院など見どころが多いが、この半世紀で何回か訪れて大方見て回ったので、今回はほとんど奈良盆地の古墳に絞って巡った。初日はまず平城京跡の北側に点在する佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群に向かった。平城京跡は長い間発掘調査され、近年は建物の復元工事が進められている。和銅3年(710)に藤原京...

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佐紀盾列古墳群の西群、宝来山古墳

佐紀高塚古墳ヒシアゲ古墳から西へ向かう道は狭く、一度平城宮跡まで戻って、佐紀盾列古墳群の西群に向かう。佐紀石塚山古墳(成務天皇陵)、佐紀陵山古墳(日葉酢媛陵墓)、五社神古墳(神功皇后陵)と共に西群を構成し、その最も南に位置するのが佐紀高塚古墳(称徳天皇陵)である。墳丘長が127mの前方後円墳で、前方部を西方向に向け、南北を主軸とする西群の他古墳とは直交する。この写真では、正面に前方部、森の奥に後円部...

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馬見古墳群、巣山古墳、乙女山古墳

馬見丘陵公園、古墳状高まり次に向かったのは、奈良盆地の南西部の馬見古墳群エリアにある馬見丘陵公園。馬見古墳群は、奈良盆地における佐紀盾列古墳群、箸墓古墳を含む大和柳本古墳群と並ぶ大和三大古墳群の一つで、4〜5世紀に築造されたといわれる古墳が多く、250基を超える大古墳群である。約56haと広大な馬見丘陵公園には、3つの駐車場がある。南駐車場は巨大な前方後円墳である巣山古墳の前方部に面している。古墳外...

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馬見丘陵公園:公園館、池上古墳

馬見丘陵公園:公園館乙女山古墳は馬見丘陵公園の中央駐車場の北東に位置するが、公園館はその駐車場のすぐ隣に建っている。巣山古墳や乙女山古墳の他にも公園内には、ナガレヤマ古墳や池上古墳など古墳がたくさん認められるが、それらの古墳の紹介も行っている。公園館内の展示公園館では古墳の説明のほかにも、勾玉・耳飾り・高杯などの副葬品、円筒埴輪や動物埴輪など埴輪の種類、古墳時代の服装として、線刻壁画にみられる衣服や...

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纏向古墳群、箸墓古墳

纏向古墳群、三輪山二日目は午前中に箸墓古墳のある纏向古墳群を、午後は橿原考古学研究所附属博物館と新沢千塚古墳群を巡るハードな日程である。まず奈良駅近くの宿から箸墓古墳のある桜井市箸中に向かう。あと1.5kmほどで箸中に着く。ここから箸墓古墳まで真っ直ぐであり、正面右手に見える小山が三輪山(467m)である。左手奥の山並みの裾には「山の辺の道」がある。箸墓古墳近くから三輪山を眺める箸墓古墳前から東を眺...

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ホケノ山古墳

國津神社箸墓古墳の東にあるホケノ山古墳に向かうとすぐに左手に村社・國津神社があった。国津神社は、古来より「地主の森」といって、天照大神の御子神五柱を祭神としている。この男神五柱、つまり、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊...

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纏向遺跡、纏向石塚古墳、勝山古墳、矢塚古墳

纏向遺跡ホケノ山古墳の周囲には纏向遺跡が広がる。纏向遺跡は東西約2km、南北約1.5kmの古墳時代前期の大きな集落遺跡であり、初期ヤマト政権発祥の地と考えられている。纏向遺跡の中には箸墓古墳を代表として、纏向型前方後円墳と呼ばれる石塚古墳・矢塚古墳・勝山古墳・東田大塚古墳・ホケノ山古墳の6基の古式の前方後円墳があり、前方後円墳で構成された日本最古の古墳群といえる。しかし、その築造時期は3世紀に遡ると...

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渋谷向山古墳、行燈山古墳

渋谷向山古墳纏向遺跡の東方、龍王山から西に伸びる尾根筋の傾斜面に築造された巨大前方後円墳が渋谷向山古墳である。後円部の先端を山辺の道が通り、宮内庁により「山辺道上陵」として第12代景行天皇の陵に治定されている。渋谷向山古墳纏向古墳群の東から北にかけて展開する、この渋谷向山古墳、行燈山古墳、黒塚古墳をまとめて柳本古墳群と称する。渋谷向山古墳の墳形は前方後円形で、前方部を西に向ける。墳丘は後円部で4段築...

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黒塚古墳、黒塚古墳展示館

黒塚古墳行燈山古墳(崇神天皇陵治定)のすぐ西に黒塚古墳がある。奈良盆地東南部に位置する柳本古墳群に属し、台地の縁辺部に立地している。柳本古墳群では最初に築造された古墳とされ、三角縁神獣鏡が多数出土したことで知られ、国の史跡に指定されている。黒塚古墳黒塚古墳は、全長約130mの前方後円墳で、後円部径約72m、高さ約11m、前方部長さ約48m、高さ約6m、後円部3段、前方部2段で、前方部と後円部の落差が...

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黒塚古墳展示館2

黒塚古墳展示館、黒塚古墳の模型黒塚古墳展示館内には、黒塚古墳の模型が展示されている。縮尺1:150の模型で、芝生に覆われたような姿で、スッキリしている。古墳は宮内庁の管理外なので、発掘調査後、埋め戻されて、今では公園として整備され、自由に墳丘を歩くことができる。後円部中央には石室のあった場所の上に模型と説明板があるようだ。銅鏡の複製品この金ピカの銅鏡は、本物と同じように作られた複製品であり、自由に触...

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黒塚古墳展示館3

黒塚古墳の三角縁神獣鏡三角縁神獣鏡は日本各地から出土し、その数は500以上とも550以上ともいわれている。古墳時代の銅鏡では最も数の多い鏡式で、その大半は近畿地方から出土している。出土した古墳の築造時期は、前期初頭が圧倒的に多く、次に前期前葉、前期中葉、前期後葉と、ほとんどが古墳時代前期とされている。黒塚古墳からは三角縁神獣鏡33面、画文帯神獣鏡1面の合計34面の銅鏡が出土した。三角縁神獣鏡の出土数...

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橿原考古学研究所附属博物館1、旧石器時代から縄文時代へ

橿原考古学研究所附属博物館、石像の流水施設奈良県立橿原考古学研究所は、公的な埋蔵文化財研究機関としては日本最古の考古学研究所である。橿原考古学研究所附属博物館は1938年以降の発掘調査の出土資料を中心に展示を行っている。常設展「大和考古学」は、先史時代から古墳時代を経て室町時代までの歴史をわかりやすく紹介している。だが、やはり古墳時代の出土物が中心を占めている。入り口には大きな石造物などが目立つ。こ...

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橿原考古学研究所附属博物館2、縄文時代の土器や墓

土器の発生氷河期が終わり、環日本海地域の細石刃・尖頭器文化が新たに石鏃を作り始める頃、列島に土器が発生する。青森県大平山元遺跡から出土した土器が、世界最古の土器といわれる。石器を主な道具としていた旧石器時代は終わりを告げ、約1万5千年前に縄文時代が始まった。縄文時代草創期の最古の土器は無文で、その後、隆起線文土器、爪形文土器と変遷し、約1万年前に縄目の模様がついた多縄文土器が登場する。縄文時代草創期...

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橿原考古学研究所附属博物館3、縄文時代の道具、土偶

縄文時代晩期の橿原遺跡から出土した動物の骨など縄文時代後期(約4,000年前)より以前の遺跡は、奈良県下では山間部に集中している。木津川水系の各河川がつくる谷や、吉野川水系の谷に広がった縄文遺跡は、安定した食用植物と動物・魚類によって、豊かな生活が保障されていた。同じ頃の奈良盆地は、沼沢地から乾燥した平野へと変化しているところだった。居住に不向きな盆地中央を避け、縁辺部の扇状地に遺跡が散在している。...

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橿原考古学研究所附属博物館4、縄文時代から弥生時代へ

縄文晩期から弥生前期への遺跡の移り変わり耕地を開き水利を管理する水稲農耕は、縄文時代晩期後半に列島西部の沿岸地域に到来した。しばらくの定着期間の後に、本州北端にまで広がっていく。奈良盆地での弥生時代の始まりは、縄文ムラの生活圏のはずれに移住してきた弥生ムラが、縄文人との交流の中で、縄文ムラを弥生ムラに変化させながら進んでいった。その様子が、縄文晩期から弥生前期への遺跡の移り変わりを見るとわかる。弥生...

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橿原考古学研究所附属博物館5、銅鐸など金属器や絵画土器

銅鐸の変遷銅鐸とは、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器である。紀元前2世紀から2世紀までの約400年間にわたって製作、使用された。語源である「鐸」は、古代中国で用いられた柄付きの青銅器の楽器である。柄を持ちもう一方の手に持った打器で鐸を打ち鳴らして音を出す。それに対して吊るして使用される楽器は「鐘」と呼ばれる。日本では実際には鐘のように吊るして使用された。これまでに出土した銅鐸は、全国で約500個で...

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橿原考古学研究所附属博物館6、初期ヤマト王権の成立

初期ヤマト王権の成立3世紀半ばを過ぎた頃、奈良盆地の東南部に巨大な前方後円墳が築かれる。これまで何度も述べてきたように、それが最初の大王墓・箸墓古墳である。その造営に直接関わった纏向遺跡内では、石塚古墳やホケノ山古墳などが箸墓古墳に先行して築かれていた。この纏向遺跡が初期ヤマト王権の中心地と考えられている。箸墓古墳のような初期の大型前方後円墳は、近畿のほか瀬戸内(吉備)から北九州にかけて広く分布して...

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