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Channel: hantubojinusi’s diary
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大仙公園、百舌鳥古墳群ビジターセンター

慶長大火縄銃堺市博物館には多種多様な火縄銃も展示されている。この慶長大火縄銃は全長3mで、現存する日本最長の火縄銃である。「慶長拾五年」銘と銘文から、砲術師・稲富一夢の監督のもと、堺の鍛治・鎌倉屋藤兵衛と江州国友(長浜市)の鍛治・重當甚左衛門の合作の大火縄銃で、地鉄も良質である。銃身に神仏の加護を祈る言葉が真鍮で象嵌され、宗教史的にも軍事史的にも貴重な資料であり、美術工芸品としても優れている。大坂の...

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上石津ミサンザイ古墳(伝履中天皇陵古墳)、御廟山古墳

上石津ミサンザイ古墳(伝履中天皇陵古墳)上石津ミサンザイ古墳(伝履中天皇陵古墳)は、百舌鳥古墳群の南部に位置する前方後円墳で、宮内庁により「百舌鳥耳原南陵」として第17代履中天皇の陵に治定されている。名称は「石津ヶ丘古墳」、「百舌鳥陵山古墳」「ミサンザイ古墳」とも呼ばれる。「ミサンザイ」とは、「ミササギ(陵)」の転訛したものとされる。江戸時代の絵図等では「履中天皇陵」の表記が見られる。上石津ミサンザ...

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ニサンザイ古墳、田出井山古墳、堺市役所展望台

ニサンザイ古墳土師(はぜ)ニサンザイ古墳は、堺市北区百舌鳥西之町にある百舌鳥古墳群の南東端に造られた、百舌鳥古墳群で3番目、全国で第7位の大きさを誇る前方後円墳である。墳丘周囲には周濠が巡らされ、現状は一重だが、二重目の外濠が一部確認されている。周濠には木橋が架けられたことが判明し、橋脚柱穴によれば幅約12m、長さ45m以上と古墳時代最大級になるが、短期間で撤去されていることから葬送用の一時的な橋だ...

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古市古墳群、誉田山古墳(伝応神陵古墳)

古市古墳群古市古墳群は、大阪府羽曳野市・藤井寺市にある古墳群で、20基が国の史跡に指定されている。東西約2.5km、南北約4kmの範囲内に、誉田山古墳(伝応神陵古墳)など墳丘長200m以上の大型前方後円墳6基を含む、123基(現存87基)の古墳で構成される。いずれも標高24m以上の台地や丘陵上にある。北部の誉田山古墳(伝応神陵古墳)・仲津山古墳(伝仲津姫陵)・市ノ山古墳(伝允恭陵)・岡ミサンザイ古墳...

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近つ飛鳥博物館①、一須賀古墳群、野中古墳、芝山古墳など

近つ飛鳥風土記の丘、一須賀古墳群大阪府立近つ飛鳥風土記の丘は、南河内郡河南町にある29haの歴史公園(史跡公園)であり、国の指定史跡である一須賀古墳群が保存されている。この近つ飛鳥風土記の丘に近つ飛鳥博物館がある。一須賀古墳群は、6世紀から7世紀にかけて築かれた、直径15m前後の円墳(一部方墳)102基からなる群集墳であり、うち40基が横穴式石室で、内部見学も可能である。近つ飛鳥風土記の丘は、一須賀...

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近つ飛鳥博物館②、聖徳太子墓

聖徳太子墓(叡福寺北古墳)近つ飛鳥風土記の丘のある河南町の北、太子町に聖徳太子墓と伝わる叡福寺北古墳がある。宮内庁により「磯長墓」として第31代用明天皇皇子・第33代推古天皇皇太子の聖徳太子(厩戸皇子)の墓に治定されている。墳形は楕円形だが円墳とされる。埋葬施設は横穴式石室で、玄室内部に棺を据えた棺台3基が残る。考古学的には厩戸皇子・穴穂部間人皇女(用明天皇皇后で皇子母)・膳部菩岐々美郎女(皇子妃)...

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近つ飛鳥博物館③、役人の出身地、墓誌、服制、紫金山古墳

平城宮勤務役人の出身地図、木簡、筆記用具上の「平城宮勤務役人の出身地図」は、平城宮の南東隅で出土した1万2千点の勤務評定関係の木管から作成したもの。河内から勤務する役人が多いことが注目される。中段には、何かの記録を記した巻物や木簡が並ぶ。木簡には、運送業務の記録や、人事評価の個人カード、酒のつけ札や、銅銭のつけ札、「千字文」などの手習の札まである。最下段には、官人階級の必需品だった円面硯や水滴、筆、...

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近つ飛鳥博物館④、形象埴輪

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近つ飛鳥博物館⑤、銅鏡、武具、臼玉

仿製三角縁神獣鏡の同笵鏡4世紀の古墳には、神獣の模様をつけた三角縁神獣鏡を副葬されるものがある。これらの鏡には同じ鋳型で作られた同笵鏡が多くある。それら仿製三角縁神獣鏡の同笵鏡出土関係地図を見ると、近畿地方を中心に東北から九州にまで各地に広がっていることがわかる。仿製とは国産のことである。御旅山古墳出土の銅鏡こちらの実物の銅鏡は、羽曳野市御旅山古墳出土の銅鏡22面である。上段右から小型の14面は、仿...

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近つ飛鳥博物館⑥、様々な古墳・群集墳

群集土壙墓・人物埴輪4世紀から6世紀にかけて、前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳など様々な墳丘の形の古墳が造られた。その中でその都度圧倒的な墳丘の大きさを誇ったのは前方後円墳である。片や、簡素な木棺墓や、人一人入る穴を掘って埋葬した土壙墓もある。右手の出土する人物埴輪には様々な地域で、様々な表情が見てとれる。それにしても左手の群集土壙墓の数には圧倒される。青山古墳群・寛弘寺古墳群...

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近つ飛鳥博物館⑦、大仙古墳ジオラマ

円筒埴輪館内の通路沿いには大小様々な円筒埴輪が並んでいる。大きい円筒埴輪には、2つから4つほど円形の透かし孔がある。円筒埴輪の透かし孔とは何なのかは、円筒埴輪の起源から紐解かなくてはならない。約400年続く古墳時代の最初から最後までコンスタントに使用された円筒埴輪の起源とされるのは、弥生時代後期の吉備地方の楯築遺跡などに登場した特殊壺を載せる専用の台である特殊器台とされている。特殊器台は弥生時代の葬...

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近つ飛鳥博物館⑧、特別展「百済王氏―絶統を紹ぎ興す」①

「百済王氏―絶統を紹ぎ興す」、高井田山古墳の石室昨年の春季特別展は日韓国交正常化60周年記念事業として「百済王氏―絶統を紹ぎ興す」だった。百済王氏(くだらのこにきしし)は、7世紀後半に朝鮮半島で新羅により滅んだ百済の王族で、倭に渡来して大阪を拠点に百済寺・百済尼寺を築き、8世紀後半には枚方市に拠点を移し、ここでも百済寺を建立した。また、赴任先の宮城の多賀城では砂金を発見して朝廷に献上し、東大寺大仏の...

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近つ飛鳥博物館⑨、特別展「百済王氏―絶統を紹ぎ興す」②

細工谷遺跡、墨書土器細工谷遺跡は「百済尼寺」の存在を示す墨書土器の出土が注目され、全国で初めて和同開珎の枝銭が出土し、金属素材や金属加工に関わる遺物も多量に見つかった。別の遺構からは府下で初めての出土となる富本銭が見つかっている。右の土師器には「百済尼」の墨書があり、左に枝銭(複製品)、和同開珎バリ銭(複製品)、富本銭(複製品)が並ぶ。細工谷遺跡出土品左の写真は細工谷遺跡の発掘調査(東から)。右の絵...

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近つ飛鳥博物館⑩、特別展「百済王氏―絶統を紹ぎ興す」③

多賀城跡出土の瓦724年に建てられた多賀城は、奈良時代から平安時代にかけて東北地方の行政・軍事の拠点だった。百済王氏のなかで最も有名な敬福は、朝廷から派遣された役人として738年頃から760年頃まで陸奥国で断続的に活動し、749年には黄金を発見して東大寺大仏の完成に貢献したことで、一気に昇進した。百済王氏が多賀城で残した直接的な証拠は少ないが、都との関係を探って見よう。一番左の多賀城跡出土の軒丸瓦の...

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叡福寺①

叡福寺、南大門近つ飛鳥博物館の北、約2kmのところに太子宗本山の叡福寺がある。叡福寺は、聖徳太子の墓所(御廟)とされることで知られる。聖徳太子については、20年以上も前から「実在しなかった」という趣旨の説がいくつも出され、教科書でも「厩戸王」と記載されるようになっている。その点については、後で触れることにして、聖徳太子の御廟を守るという叡福寺について調べておこう。叡福寺によれば、推古天皇30年(62...

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叡福寺②、太子廟=叡福寺北古墳

叡福寺二天門から太子廟を望む叡福寺の二天門から正面に太子廟を望む。門の左手に増長天、右手に持国天がそれぞれ天邪鬼を踏みつけて立っている。三骨一廟縁起三骨一廟縁起によると、太子27歳の時、神馬に乗り天上を駆けて富士山頂に至り、西方に五色の光を見てこの地を選び自らの墓所と定めたという。磯長廟の裏山は「五字ヶ峰」と呼ばれ、宝篋印塔が建立されている。推古30年(622)2月22日、「諸悪莫作、衆善奉行」と遺...

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墓山古墳、向墓山古墳、羽曳野市文化財展示室①

墓山古墳応神陵の南南西、古市古墳群の中心部に築造された墓山古墳は、同古墳群で第5位の大型の前方後円墳である。墳丘長は225m、後円部直径135m、高さ21m、前方部幅153m、高さ19mで、周囲に幅約15mの濠と幅約37mの堤が巡っている。宮内庁により応神天皇陵(誉田山古墳)の陪冢に治定されている。墓山古墳墳丘は3段に築かれ、くびれ部左右に造り出しを備えている。墳丘頂上と斜面の平坦面には円筒埴輪列が...

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羽曳野市文化財展示室②

靫型埴輪、盾形埴輪、朝顔形埴輪こちらの大型埴輪は、左から茶山1号墳出土の靫型埴輪、軽里4号墳出土の石見型盾形埴輪、西馬塚古墳出土の朝顔形埴輪である。破壊されていた軽里4号墳は、後円部直径が13.6m、前方部長さ4.6m、墳丘長18.2mと推定されている。周溝から馬具、墳丘から円筒埴輪や盾形埴輪、家形・人物形埴輪、須恵器や土師器が出土している。石見型盾形埴輪とは、奈良県三宅町の石見遺跡で最初に出土した...

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羽曳野市文化財展示室③、津堂城山古墳

大型円筒埴輪こちらには大型の円筒埴輪が並ぶ。左から2番目・3番目の埴輪は茶山遺跡(誉田中学校内)出土の朝顔形円筒埴輪と円筒埴輪である。その右の円筒埴輪2個の出土古墳名は残念ながら読み取れない。軽里大塚古墳(白鳥陵古墳)、峯ヶ塚古墳軽里大塚古墳(白鳥陵古墳)は、古市古墳群南部の台地上に築造された大型の前方後円墳で、墳丘の長さは200m、後円部直径は106m、高さ20m、前方部幅165m、高さ23mであ...

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九州歴史資料館①旧石器時代、縄文時代

九州歴史資料館2024年には奈良の古墳巡り、2025年には大阪の百舌鳥古墳群・古市古墳群を巡ったが、2026年は1月に吉野ヶ里遺跡を中心に北九州(福岡・佐賀)の古代遺跡・古墳を巡った。大小様々な博物館・資料館も訪れた。まずは小郡市にある九州歴史資料館にて、古代九州の歴史展示を大雑把に見て回った。資料館の入口前には、城島瓦でできた大きな鬼瓦が展示されている。この太宰府式鬼瓦は、太宰府史跡をはじめとして...

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九州歴史資料館②縄文時代

北九州の縄文時代遺跡からの突瘤文土器などの出土品土器が出現した頃を縄文時代草創期と呼んでいる。現段階で、日本最古の土器といわれているのは、津軽半島の大平山元遺跡出土の16,500年前のものとされるが、土器に縄文はない。同じく草創期の土器の代表は、北松浦半島の泉福寺洞窟等から出土した豆粒文土器(約16,000年前)や草創期中期の隆起線文土器であり、その後、草創期後半の13,300年前頃から本格的に縄文...

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九州歴史資料館③弥生時代の土器編年

弥生時代の土器編年弥生時代は、朝鮮半島南部から北部九州の玄界灘沿岸地域に、水田稲作・磨製石器・金属器・支石墓など新しい文化が伝わり、定着することで始まる。水田稲作で食料生産力が高まり、人口が急増したため、稲作可能な低地や谷間まで開発するようになった。弥生時代中期前半の指導者層の墓には武器形青銅器や装身具が副葬され、「クニ」が出現する中期後半には、中国皇帝から下賜された数十枚の銅鏡などを墓に副葬する首...

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九州歴史資料館④弥生土器、弥生時代の甕棺

糸島市三雲遺跡出土の弥生土器引き続き弥生土器の壺や甕が土器編年順に展示されている。右上の土器は、糸島市三雲遺跡出土の弥生時代中期須玖Ⅰ式の壺である。右下の土器は、糸島市三雲遺跡出土の弥生時代中期須玖Ⅰ式の甕である。左上の土器は、糸島市三雲遺跡出土の弥生時代中期須玖Ⅱ式の壺である。左下の土器は、糸島市三雲遺跡出土の弥生時代中期須玖Ⅱ式の甕である。糸島市三雲遺跡=三雲・井原遺跡は、『魏志倭人伝』に「世々...

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九州歴史資料館⑤北部九州の古墳文化、古墳時代の土器編年

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九州歴史資料館⑥古墳時代、装飾古墳

装飾古墳...

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九州歴史資料館⑦古墳時代の須恵器や陶質土器

若八幡宮古墳、三角縁神獣鏡福岡市若八幡宮古墳は、墳長47m、前方部2段、後円部3段築成の前方後円墳で、古墳時代前期の築造とされる。斜面に葺石は施されていたが埴輪は発見されていない。埋蔵部は石室ではなく、後円部の真下に杉材をくり抜いた「舟形木棺」を東西方向に直葬し、蓋は粘土で目張りされていた。今宿平野には12基の前方後円墳を中心に古墳群が形成され、その中でも最古の古墳とされる。副葬品は、木棺内部に三角...

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九州歴史資料館⑧大宰府-政庁・官衙跡

大宰府-政庁・官衙跡、大宰府式鬼瓦白村江の戦い(663)に敗れた日本は、唐・新羅の侵攻に備えて列島各地に山城を築いていった。特に大宰府には664年に水城、665年には大野城と基肄城が築かれ、大宰府を中心とした北部九州の防衛体制が確立され、大宰府の軍事的・政治的機能が拡充されていった。8世紀初頭には律令国家の成立とともに大宰府政庁は朝堂院形式と呼ばれる礎石建物になった。九州西海道を統括する地方最大の官...

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九州歴史資料館⑨太宰府-観世音寺、古墳時代、飛鳥時代

観世音寺観世音寺は天智天皇が母帝・斉明天皇の霊を弔うために発願し、天平18年(746)に造営完了した寺である。境内に点在する礎石や当館の発掘調査などにより、「府の大寺」と称された往時の姿を推測できる。その伽藍は東面金堂を回廊内の西に、塔を東に配置する観世音寺式で、大和の飛鳥寺・川原寺の系譜を引き、同形式の配置は東の守りである陸奥・多賀城の多賀城廃寺ほか数例が知られる。大宰府の観世音寺は西戒壇・筑紫戒...

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九州歴史資料館(10)飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代

飛鳥時代から奈良時代の須恵器ここには飛鳥時代から奈良時代の須恵器が並ぶ。上段右の須恵器は、古賀市古野古墳群出土の飛鳥時代(7世紀後半)の壺である。古賀市には船原古墳という、6世紀末から7世紀初頭に造営されたと推測されている前方後円墳がある。推定全長45m以上で、中央に緑色のガラス玉が嵌め込まれた辻金具等、国内では初のシャンデリア状の金銅製馬具装飾、金属製武器などが出土した。馬具の豪華さは藤ノ木古墳の...

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小郡市埋蔵文化財調査センター、弥生時代まで

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